先日、人間ドックに行ってきました。

この話を書こうと思ったのは、最近あらためて自分が思っている以上に歩いていないと感じる場面が増えたからです。

会社員時代は、通勤と外回りだけで自然と歩く距離がありました。
でも今は、長野の山の暮らしで移動がほぼドアトゥードアの車です。

気づけば、歩かなくても生活できてしまう時間が増えていました。

もちろん、犬の散歩は習慣です。
基本的には毎日、しっかり歩く時間を作っています。

ただ、天候によって行けない日がある。
仕事が忙しいときは、家族に任せてしまう日もある。

そうなると、驚くほど動かない日が生まれます。
意識しなければ運動量がゼロに近づく環境にいるのだなと、少し怖くなる瞬間があります。

だからこそ私は、年に1回は必ず人間ドックに行くようにしています。
健康にはお金がかかりますが、お金には変えられないものがあると割り切って、ここは惜しまないと決めています。

人間ドックは「第三者の視点」を買う日

体調の管理には、どうしても主観が入ります。

疲れているけど、仕事は回っているから大丈夫。
体調が悪いわけじゃないから大丈夫。
運動は落ち着いたら。

こういう“大丈夫”は、便利な言い訳にもなりがちです。
そして厄介なのは、その言い訳が日常の中で自然に正当化されてしまうことです。

人間ドックの良さは、その主観をいったん横に置けるところにあります。
自分の感覚ではなく、検査というフラットな枠組みで現状を点検してもらう。

怖さがゼロではない一方で、曖昧だった不安が整理されて次の行動を決めやすくなる
私は毎回、その感覚に助けられています。

体調が悪くなってから考えると、どうしても選択肢が減ります。
だからこそ、元気なうちに点検して、手を打てるうちに微調整する
人間ドックは、そのための時間だと思っています。

生活習慣は「ちゃんとしているつもり」ほどズレる

ちなみに私は、人生で今までタバコを吸ったことがありません。
家ではお酒もほとんど飲みません。お付き合いの場では飲むこともありますが、基本的には飲まないタイプです。

外食もそこまで多くないので、日々の食事も自分なりに気をつけているつもりです。
ただ、ここにも落とし穴があります。

自炊は良い反面、作りすぎてしまうことがある。
そして作った分、食べてしまう。

つまり、管理しているつもりでもズレは起きるということです。
人は都合よく自分を解釈してしまう。

だからこそ、第三者に見てもらう価値がある。
人間ドックは、そのズレを見える形にしてくれる時間だと思っています。

自分が倒れないことは、仕事の品質にも直結する

私が人間ドックを欠かさない理由は、個人的な安心のためだけではありません。
もし自分が倒れてしまえば、当然まわりに迷惑がかかります。

仕事も同じで、属人化しないことを意識しています。
情報共有の設計をし、チームで状況を把握できる状態を作る。
気合で乗り切るより、崩れない前提で仕組みに落とすほうが強い。

体調管理も、それに近い感覚があります。
頑張れるから大丈夫ではなく、崩れないように点検しておく
仕事も健康も、結局は継続できる形になっているかが大事だと思っています。

今年も、整えながら進む

人間ドックは、何かを脅かすイベントではなく、現状を整理して次の一年を整えるための時間。
私はそう捉えています。

自分の感覚だけで判断しない。
第三者の視点を借りて、現状を点検する。
必要なら、やり方を微調整する。

今年も犬の散歩を基本の習慣として大事にしつつ、
山の暮らしの歩かなくても済んでしまう環境に流されないように、意識して整えていこうと思います。

仕事も健康も、いきなり大きく変える必要はありません。
小さく点検して、小さく直して、長く続ける
その積み重ねが、結果的にいちばん強いと感じています。

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